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尾辻 朋実

無所属· 参議院· 参議院議員

Full speech

○尾辻朋実君 チームみらい・無所属の会、尾辻朋実でございます。  前回の委員会質疑の中で、大臣御自身、自ら環境大臣を御希望なさったという御発言ございましたので、本当はその理由もお聞きしたかったのですが、私が通告に入れそびれまして、申し訳ありません、今回は見送りました。是非次回以降お聞かせいただきたいと思いますので、よろしくお願いを申し上げます。  前回、御就任の際の所信的御挨拶の中でも、引き続き真摯に取り組むとおっしゃいました水俣病について、今回の所信表明におかれましても、今年で公式確認から七十年を迎えるとなさった上で、引き続き真摯に取り組み、国民の安全、安心を確保してまいりますとおっしゃいました。  したがいまして、本日も水俣病についてお聞きをいたします。  質問に先んじまして、委員会御出席の皆様におかれましては、前回初めての質問ということで詰め込み過ぎまして、質問時間を超過し、委員長始め皆様に御迷惑をお掛けいたしました。おわびを申し上げつつ、本日の質問に入らせていただきます。  水俣病公式確認から七十年と一言で申しますには、七十年です、余りにも長い長い闘いの歴史であります。そして、まだその闘いが終わっておりません。昨年は、さきの大戦から八十年の節目の年でございました。戦後史とほぼ変わらない長い時間の苦しみと闘いの話でありますので、委員の先生方にも、今日までどのような経緯があって、そして今日、この話がどうなっているのか、若干の背景も含め、私の調べた範囲で補足申し上げながら質問いたしたいと考え、また、前回の反省も踏まえまして、本日は政府参考人に幾つかの質問と、そして大臣には今日の質疑を受けた総括を最後にお願いできればと存じます。  まずは、資料でございます。お手元にお配りしております四枚つづりでございます。前回の資料をほぼそのまま配付させていただいておりますので資料の説明は割愛させていただきますが、新しく委員になられた先生方もいらっしゃいますので、資料の四ページ目、資料四だけは御一緒に再度御確認をお願いしたいと存じます。  七十年前でございますから当然だとお叱りを受けることは承知でございますけれども、一九五六年でございます、昭和三十一年に水俣病は公式確認をされました。それから原因企業が排水をやめるまで、ここではアセトアルデヒドの製造中止と記載しておりますが、実に十二年の歳月を要しました。この間、被害は拡大し続けたのであります。  また、この資料からは漏れてしまっておりますけれども、製造中止の翌年から旧救済法、またこれを引き継ぐ形で公害健康被害補償法、一般的に公健法と略される法律でありますが、これに基づく患者認定がなされました。この頃、公健法で救済の対象として認定されましたのは、いわゆるハンター・ラッセル症候群、我々が教科書などを通じてお姿を拝見するだに痛ましい、そういう劇症型の患者さん方でありました。それがおよそ一九七〇年代の話であります。公健法の認定というのは、今申しましたとおり、判断条件がかなり厳格でありましたから、全国で救済を求める訴訟は相次いでおりました。  そういった経緯の中で、自社さ政権において、一九九五年に一度目の政治解決が図られることとなります。ここまで申し上げておりましても気が遠くなりそうであります。公式確認から公健法による救済まで二十年近く掛かっています。そこから更に二十年経過して、ようやく一度目の政治解決が図られました。それから更に現在まで、三十年の時間が経過いたしております。今なお救済を求める方が大勢いらっしゃるこの事実を直視しなければならない、私はそのように考えております。  最後にもう一度触れる予定でございますけれども、現在、訴訟を係属中の原告、千六百三十四名いらっしゃいます。平均年齢は七十五・五歳。裁判の審理の途中で亡くなられた原告は既に四百二名を数えています。  この事実を前提として、現在の政府見解について、政府参考人にお聞きをいたします。まずは、水俣病とはどういう病気をいうか、そこから教えてください。

Surrounding remarks in this meeting