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尾辻 朋実

無所属· 参議院· 参議院議員

Full speech

○尾辻朋実君 同じ轍を踏みそうなので、急ぎます。  ここまで環境省の見解をお聞きいただきました上で、最高裁の判決、特に今日は平成二十五年四月十六日の判決について内容を若干御説明申し上げたいと思います。  ここでまず問題にしたいのは、今し方おっしゃられました昭和五十二年判断条件でございます。これについて補足的に最高裁否定していないということで伯野部長から御発言ありましたけれども、これ、環境省さんは徹底して一貫した見解でおられます。しかし、昭和五十二年判断条件がメチル水銀の暴露に加えて感覚障害を含む症状の組合せを必要としてきたのに対して、最高裁は、昭和五十二年判断条件に定める症候、症候群の症候です、症候の組合せが認められない四肢末端優位の感覚障害のみの水俣病が存在しないという科学的な実証はないと明確に判決理由中本文で否定しております。  これに対して環境省は、昭和五十二年の判断条件は否定されていないと、先ほど来の繰り返しになりますが、おっしゃられますけれども、昭和五十二年の判断条件を用いた以前の基準での判断では症候の組合せは必須であった、そうであればこそ、最高裁は判決理由中の本文において明文でわざわざ、昭和五十二年判断条件に定める症候の組合せがなくとも水俣病と認定することはできると明確に否定したものだと私は理解いたしております。これ、これでもなお否定されていないというのはちょっと苦しい言いぶりではないかなと思いながら指摘をさせていただきます。  これについて、公益社団法人日本精神神経学会、これは医師も含め全国で会員数二万人を超える組織でありますけれども、現在もホームページ上に掲載されている声明文において、この環境省が昭和五十二年は否定されていないという論理に対して、環境省における論理のすり替えでしかないと強く非難しています。更に踏み込んで言えば、日本精神神経学会は、そもそも、昭和五十二年判断基準にはその医学的根拠となる具体的データが見出せず、症候の組合せに基づく診断は科学的に誤りであるとまで声明の中で明記しています。加えて、日本弁護士連合会も、会長談話の中で、平成二十五年最高裁判決を受けて、昭和五十二年判断基準の抜本的改定を急ぐようコメントしています。  この昭和五十二年の判断基準というのは、医療界からも法曹界からも司法からも、かなり言葉を選んだとしても、少なくとも異論が出ている。ここまで申しますと、であればこそ、平成二十六年の総合的検討通知によって一定程度緩やかな基準に緩和したとおっしゃられるかもしれませんが、ここで皆様には先ほどの資料四、もう一度御覧になっていただきたいのであります。一番下の行です。  これは、一番最近の救済法である特措法による救済の申請受付終了日でございます。平成二十四年七月に受付を締め切りました。その後に平成二十六年の通知が出されております。したがいまして、直近で救済された皆様は平成二十六年通知の以前の基準で判断されたのではないか、この点も指摘をいたしておきます。  大臣、質問ではありません、お願いであります。この事実を前に、私は、いま一度救済の道を開くべきだと思います。是非熟慮をお願いいたします。  そしてさらに、先ほどの話に若干戻るのでありますけれども、最後にいたした質問に対して環境省さんは、政治解決等の当事者は水俣病被害者であって、水俣病患者ではないとおっしゃられたと思います。いずれにしても救済する、そのお気持ちもお聞きをいたしました。しかし、平成二十五年判決は、水俣病認定の義務付け訴訟であります。そこで原告の主張は認められております。そして、この基準は、環境省さんが公健法に基づく基準と定めるものよりも緩やかな基準で認めたものであります。そして、今、環境省さんはその緩やかな基準に基づいて水俣病被害者を認定するということであると私は認識しております。そうしますと、最高裁が水俣病患者と認める基準に環境省が準拠した基準で認定する方は、環境省さんはその方を水俣病被害者と呼ばれて、一方、司法の判断では、その方たちは水俣病患者さんとなる、こういう乖離も生じていることを指摘しておきます。  ここまで長い時間を、質問よりも説明に重きを置いてまいりましたのは、つまりは、長い闘いなんだということに尽きるのであります。この間、環境省さんも両当事者や関係省庁と非常に困難な折衝を重ねてこられました。これは、環境省の五十年史という冊子も私読みまして、本当に御苦労をなさってこられたと思います。長い時間の中で時代背景も変化し、医学も進歩して、時の政権や積み重なる司法判断によって解釈、運用にも変化があったはずだと思います。  他方で、行政がやすやすと変えましたなどということも言えないことも理解しております。ただ、もう公式発見から七十年、工場排水の停止からも六十年が経過しまして、先ほど申しましたとおり、原告のうち四百名余りが既にお亡くなりになっている現実を前に、この七十年という節目を、本当の意味での水俣病の被害に遭われた皆さんをあたう限り全て救済につなげる年にしたい、切に願います。  今日の質疑をお聞きになられた大臣の感想をお願いして、私の質問を終わります。

Surrounding remarks in this meeting